
この工房を作るに至ったSTORYをご紹介します。
はじめまして。
米粉のお菓子屋工房CHAINON(シェノン) オーナーのchieです。
2022年8月、自宅の一部を改装してお菓子工房にしました。その後商品を紹介するための
販売サイトを作成し「米粉のお菓子BOX販売」スタート。
そこに至るまで、様々な想いがありました。
何でもない主婦が パティシエの経験があったわけでもありません。
両親がケーキ屋さんだったわけでもありません。
ずっと小さな頃からの夢だったわけでもありません。
では・・何故? 自宅を改装してまでやろうとしているのか。
さかのぼること19年前 結婚しました。
ありがたいことに、結婚後すぐに子供を授かりました。
さあ、子育てが始まるぞ。
ごく普通の子育てを夢見てスタート! なんて思ったら大間違い・・それは幻想でした。
そう・・
生まれた我が息子は生後6か月の血液検査で、多品目の食物アレルギーが発覚。
卵・乳・大豆・小麦・ナッツ類・そば・・・
そのスコアが先生もびっくりするほどの振り切った数値。
3歳から血液検査記録が残ってましたので写真をご覧ください。

牛乳・卵白・オボムコイド、これらの値が 測定不可能で振り切っています。 特異的IgEの値、アレルギー反応数値ですが、基準値170 IU/ml以下のところ1723。
ひと桁違っていました。
私 :先生、この子はこの先何を食べさせていけばいいですか?
先生:うーーん、、当面の間・・3歳頃までお母さんの母乳で生きていってください。
私 :さ、3さい?ずっと母乳?私は牛乳とかパンとか食べても大丈夫ですか?
先生:そうだね、なるべくならお母さんも控えたほうがこの子の為にはいいですね。
自分の食べたものが母乳からも影響するなんて医者から言われたら、、、
少しでも良くなって、アトピーによるかゆみから解放され泣かなくなるならと思いました。
ここから、生活は180度変わります。
そんなわけで当時、授乳中だった私は、息子のアレルゲン物質となっているものを自分自身も同じように全て摂取するのをやめました。
私自身は何でも食べられるのですが・・少しでも良くなるなら。寝てくれるなら。それだけです。
アレルギーっ子ちゃん特有の、アトピー性皮膚炎と喘息もセットでついてきました。
毎日毎晩掻きむしり、布団に血がたくさん・・痒くて泣き叫びます。
野菜や少しのご飯を食べ、味噌も大豆ではなく「ひえ」や「あわ」の味噌を取り寄せ。 醤油も小麦の入っていない醤油を取り寄せました。
ここまでして、母乳からどれほどの影響があったかはいまだに分かりません。
ただただ、、少しでもアトピーが改善し、少しでも寝てほしい。必死でした。
こんな生活をしていたら、体重はかつて経験したことのないほど減り、心身ボロボロ。
挙句の果てには、口内炎が一気に数十個できて物が口から食べられなくなりました。
病院であらゆる検査をしても、これという病名はつかず。原因不明。
今にして思えば、完全に栄養不足。免疫低下です。
普通ならきちんと抗生剤を飲んで、食事を元に戻せばすぐに回復するのですが。
当時それでも母乳をやめない決断をした私は、 薬を飲まず入院もせず、点滴のため通院しながら回復までに時間をかけました。
クレイジーです。。。
そのくらい、食物アレルギーやアトピー、この経験したことのない初めての世界に翻弄されていました。
この期間は、私の子育て史上、最も強烈な体験として記憶に残る出来事でした。
あの頃の自分に言いたい。
「母乳やめて、好きなもの食べちゃいなよ」
「息子は死なないから大丈夫、ママ笑ってよ」
次は幼稚園選び。
どのお母さんも幼稚園はどんな特徴があるかたくさん比較検討してましが、我が家の幼稚園選びの条件は簡単でした。
給食でなく毎日お弁当の所。選ぶ条件はそれだけでした。
幸いなことに入園までに、小麦と大豆は病院でアレルギー試験を行い摂取可能に。
少しずつ食べられるようになりました。
残るは乳・卵・ナッツ類全般・そば。
牛乳にいたっては、隣の子が牛乳をこぼし、息子の手にそれが数滴飛び、その手で顔をこすっただけで顔も体も蕁麻疹でボコボコ。
幼稚園から呼び出しです。
小学校の給食は、給食時間に合わせて私が学校へ届ける日々。
何が大変って、全ての献立に合わせた食事を届けるというミッションです。 学校側からの指示でした。
あまりにアレルゲンの品目が多かったからです。
毎日朝ごはんを食べさせ登校してからが戦争です。
10時までに給食を届ける毎日。これを約3年間、約600食やりました。
その後、小学校高学年と中学3年間は、食べられないものだけを代替食として持参します。
終わることのない食事管理。
いつも私のポケットには献立表があり、翌日の献立で頭いっぱい。
一日があっという間でした。
献立に沿って作ってきた数々のお弁当が、一部記録として残ってましたので写真をご覧ください。

外食は、きまってうどん屋さん。
メニューはシンプルなかけうどん。
それ以外は除去する品目がありすぎてハードルが高いので諦めます。
誕生日は大好きなポップコーンタワー!
みんなが大好きなチョコ、ケーキ、プリン、アイスは夢のまた夢な話でした。
当時の息子にとってはいつもと違う特別なポップコーンタワー。 この写真も残ってましたのでご覧ください。

当時、毎日の食事制限に付け加え、日々のおやつまで手作りをしていたら身体がもちません。
たまに頑張って手作りおやつを作りますが、手軽に安心して買えるアレルギー対応のものを色々探す日々。
今でこそグルテンフリーやアレルギー対応おやつは手軽に購入できるようになりましたが、当時はあまり選択肢が少なく、とても割高でした。
普段の息子のおやつは主にさつまいもやポン菓子、おせんべいや団子。
とにかく地味!素朴なんです。
たまに通販で購入。
でも、何か満たされない。。私だけが思う葛藤。
「アレルギー対応お菓子って息子だけ別でなんか寂しい」
なぜこう感じるのか。
息子は感じてなかったと思います。
でも私の中にある罪悪感というか寂しい感情。
みんなと同じじゃなくてごめんね。
こんな感情だったかもしれないです。
そして私も一緒に食べてみたくなるもの。
そんなおやつを探していました。
実はアレルギーっ子はとても小さな世界で生きています。
限られた食材、限られた調味料。
だけど本人は実際にはその狭い枠の中でも、案外美味しく食べてます。
他を知りませんから。。
問題は、幼稚園・学校・イベント・実家・友達の中など、家以外の場所にいるとき。
ひとりだけ別のお菓子を食べると「かわいそうにね、、、」この悪気のない言葉。
この「かわいそうにね」を 「それ、おいしそうだね」に変えたい。
アレルギー用お菓子はおいしくない。
そんな勝手な思い込みも私にはありました。
そうではなく、アレルギー用お菓子は体にいいし、素材にこだわったお菓子は美味しい!
このイメージに変えたかった。
そして「別」ではなく「特別」「スペシャル」がいい。
当時の私がこんなサービスがあったら利用したかった。
というものを作りたい!
そんな思いが沸いてきた瞬間でもありました。
当時、小学生の頃のバレンタインデー♡
いつも息子がいただいてた近所の親子からの差し入れは、白玉団子と乳製品が入ってない特別なチョコレート!
これを楽しみにしてました♬
写真がありましたのでご覧ください。

病院で食物アレルギーがわかってから18年。
エピペン使用回数3回。
アナフィラキシーショックを起こして救急搬送された回数13回。
中学生になってからは運動誘発型アナフィラキシーショックも発症しました
(激しい運動が引き金となって呼吸困難となるもの)
いつも危険と隣り合わせで、アレルギー総合デパートのような息子でしたが、 現在は晴れて大学生になりました。
さて、そんな息子の今現在の食生活はどうなっているか、ですが。
卵も摂取可能になりました。(病院でのアレルギー試験にてクリア)
幼少期に病院で口腔負荷テストを入院して数回行いました。
※耳かき一杯の卵黄から食べていく負荷試験の写真も残ってましたので、ご覧ください。

乳製品はまだ解除とはいきませんが、3回にわたる負荷試験で許容量がだいぶ増えてきています。
今現在、完全除去しているのはナッツ類とそば。
一生食べれないかもしれないと思ってたラーメン屋さんにも行けるようになりました。
当時「チョコってどんな味するの?」とよく言ってましたが、 今では板チョコ一枚食べても平気なほどになりました(体調によって発症)
実は、私自身も6年前に病気になり乗り越えました。
そこからグルテンフリー、野菜中心、白砂糖の制限をしたことで、体調が改善。
食を見直した結果、お菓子も安心安全な材料で素材にこだわったものに変えました。
そのようなこともあり、私が作るお菓子は食物アレルギーの有無だけではなく、基本的に全て米粉で素材にこだわり、できる限り添加物や保存料、白砂糖を使用しない身体にやさしい材料を使います。
アレルギーっ子もママも両方が安心して同じおやつを食べて欲しい。
まさに私自身が欲しかったお菓子を提供したいと思ってます。
食物アレルギーのある息子を育てた経験。
これはとても一言では語り尽くせないものでした。
当時のことを振り返り、今強く思うこと。 それは
「必ず今よりマシにはなっていくので、お母さん休んでね。」という想いです。
周りに理解者、応援者がどれだけいるか。
これはとても重要でした。
アレルギーっ子を支えるお母さん、そしてそれを支える家族、おじいちゃん、おばあちゃん、友人、関わる全ての人が同じお菓子を食べて笑って欲しい。そしてその中にこんなお菓子が届いたら幸せだなという想いを形にしました。
それがアレルギーっ子でも安心して食べられる【CHAINON シェノン】のお菓子です
【CHAINON シェノン】はフランス語で
<幸せの連鎖>という意味も含まれているそうで、この名前を屋号にしました。お菓子を食べるときの幸福感が、周りみんなに連鎖していったら最高に幸せです。
お母さんが笑えば子供にも連鎖する。
そんなお菓子を食べてもらい手を休めてほしい。
日頃子育てに頑張っているお母さんを心から応援したくて始めました。
私がこのお菓子屋さんを始めるに至ったのは
① いつでも安心感のあるお菓子を提供したい。
② アレルギー対応とは思えない、見た目と味を提供したい。
③ みんなが笑顔になるスペシャルな時間を送ってほしい。
【みんなに美味しいお菓子を】
常にこの思いを大切にしていけるお店でありたいと思っております。
今後もインスタグラムなどを通して発信し、よりよく進化していけるよう励みます。
今後の活動なども発信していきたいので、引き続き応援していただけると嬉しいです。
